靖国神社参拝問題熱いですねぇ。
何が正しいか俺なんぞには判断出来ませんが、一つ思うことは、宗教が人を幸せにすることは無いと言うこと。
宗教の違いで殺し合いしてるヤツいっぱいいるし、そもそも死後の世界があるなんて考え方があやしすぎ。
今回の靖国問題にしても、死後の世界なんて無い、人は死んだらそれまでよ、後は土に還るだけってことなら、なにも問題にならないんじゃねぇ〜のかなぁ。魂なんて存在しない。死んだヤツはどこにもいない。手を合わせたってなんの意味も無いってことなら、神社も寺も教会もお墓もいらないわけで、それさえなけりゃこんな問題もないでしょう?人が死ぬのは悲しいけど、「宗教=魂は永遠だ」みたいな考え方にすがるのは悲しみから逃げてるだけでしょう。悲しみが薄らぐのは神や仏のご加護じゃなくて、「忘れる」っていう脳の機能でしょう。
何か悪いことをしたときに許しを請う相手は神様じゃなくて、被害を与えてしまった相手でしょ?自分のした行動が招いた結果から目を逸らしちゃダメでしょう?
ちょっと古いですが飯田穣治さんが「アナザヘヴン」についてのインタビューの中で「殺し合いが無くて平和な天国って場所があったとして、いったいどれだけの人がそこに行きたがるだろうか?人殺しなんかが頻繁に起こるこの世界が本当はみんなが望む天国なんじゃないだろうか?」ということを言ってますが、この世界がみんなの望む天国だとするならば、それは人が皆、残虐な罪人だからでしょう。
TV版「アナザヘヴン」に出てくるオカマチックなあやしげな占い師の台詞に「神は上にはいない。あなたの心の中にいる」なんてのがありましたが、神を自分以外に求めた瞬間に人は罪人でOKになってしまう。神は自分の中にいなくちゃダメなわけで、自分が神じゃないとダメなわけです。そうしてみんなが神になったときに本当にこの世界が天国になるんじゃないのかな?
飯田さんはそこまで親切に語りはしないけど、それは作品が語ってるし、それを言ったら作品創る意味ないから言わないだけで、きっとそういうことが言いたかったんでしょう。
自分で書いていてすごくチープだと思う。だから飯田さんは小説や映画やTVドラマにしたんでしょうね。
本来の宗教ってもっとまともで現実的で飯田さんのように「本質を直接言って聞かせるよりも効果的な方法」を知ってる人がつくったのかなぁと思う。たとえば聖書って小説だし。自分で読んで自分で考えて自分で本質に気づきなさいってことでしょ?
今の宗教(というか、宗教に対する考え方、とらえ方)は永い伝言ゲームの中で完全におかしくなってるでしょ。
聖書も他の宗教のこれに類するモノも、みんなタダの小説だ。他の小説と変わらない。映画や音楽なんかの創作物と何も変わらない。
「アナザヘヴン」は「聖書」かも知れない。だけど飯田穣治は僕らの神じゃない。
浜崎あゆみの音楽は若者の「聖書」かも知れない。でも彼女は若者の神様じゃない。
「ユーロビート」は僕らの「聖書」だ。だけど勘違いしたらいけない。作家陣は僕らの神じゃない。「ユーロビート」が「聖書」になりうるのは、リスナーが作品に込められた意味を自ら考え、感じることのできたときだけなのだから。